ビルやマンション、学校などに設置してある「定礎」と彫られた石を見たことがあるでしょうか?
一度は見たことがあるものの、定礎がそもそも何なのか知っている人はそれほど多くありません。
そこで今回は、知られざる定礎の様々な秘密をご紹介していきます。
定礎がある理由や定礎の歴史など、定礎の気になる謎をたくさん解き明かしていきます。
後半には定礎の中身についてもご紹介していくので、気になる方はぜひ最後までご覧ください。
定礎とは?
定礎は最近建てられた建築物だけではなく、古い建物にも設置されているものです。
その歴史は長く、様々な意味が込められているとされています。
まずは定礎についてよく知る前に、読み方から説明していきましょう。
そもそも何と読むの?
日本ではよく目にする漢字の中に、きちんとした読み方が分からない漢字や、間違って読んでしまっているというケースも多く見られます。
その内の一つに、「定礎」も入ってしまっています。
定礎は「じょうせき」や「じょうそ」と読む方もいますが、正しくは【ていそ】と読みます。
日常生活ではあまり触れることのないワードなので、読めない方がいるのも当然でしょう。
そんな定礎は次のような意味を持っています。
定礎が持つ意味について
定礎は文字から考えられる通り「礎(いしずえ)を定める」という意味があります。
礎とは、柱の下にすえる土台石や、建物をその上に建てる土台石を指しており、その土台石を定めるのが定礎というわけです。
しかし、上記の説明を見ただけでは何のために定礎を設置しているのか理解できる方は少ないでしょう。
そもそも礎というのは「物事の根幹」といった、大切な要素であるという意味も持っています。
「王子は国を支える礎となった」というように、定礎が使用できる場面は建築物だけではないのです。
ただし、古い時代に建築の世界では礎石(そせき)と呼ばれる石を土地に据えなければ建物を建てることができませんでした。
その理由は建物の柱を地面に直接立ててしまうことで、雨や雪で濡れた地面の湿気を柱が吸ってしまうからです。
木の建材は湿気に弱く、湿気の影響で傷みを早めたり、木そのものを腐らせたりしてしまいます。
加えて、建材が地面に直接触れた状態はシロアリや動物に食べられてしまいやすいため、礎石がなければ建築ができませんでした。
こうしたこともあって定礎は建築業界で使われるものとなり、建物を建てる時の柱の土台である礎石の位置を定めるものとして扱われています。
様々な場所に設置されている
定礎が設置されているのはビルやマンションといった高層の建物だけではなく、様々な場所で見られます。
学校や保育施設、介護施設、商業施設など、特に定礎を設置する建物に決まりはありません。
設置されている位置は、建物の正面玄関付近もしくは南東側に置くのが一般的です。
なぜ南東であるかというと南東は大吉相の入口と呼ばれており、多くのビルやマンション、施設は南東に入口を構えているからです。
この定礎が色んな場所で見られるということは、設置は義務的なものと考える人も多いでしょう。
しかし建物に必ず設置しなければならないというルールはありません。
あくまでも昔から行われてきた習慣的なものとして現代でも設置されています。
定礎に使用する石やデザインは様々
「定礎」と彫られた定礎板には様々な種類があります。
そのため建物をよく観察してみると「斬新なデザインで気付かなかった」「これが定礎だとは思わなかった」など、意外と定礎が設置されていることに気が付かない場合も多いです。
まず、代表的な定礎の例をご紹介していきましょう。
定礎板の色は基本的に黒やグレー、茶色の石板を使用することが多いです。
建物に合わせて白の石板もあり、かなり自由度は高くなっています。
文字は一般的には掘ることが多く、字体は明朝体が主流です。
彫り込んだ文字に色を入れることはあまりないのが特徴で、石の色によってはあまり文字が目立たないこともあります。
特に茶色の石板は文字が目立ちにくいです。
また、文字を掘る際には定礎の下に日付を小さく掘ったものが多いです。
日付は工事の始まった日を彫り込むことがほとんどでしたが、現在は定礎板を埋め込む式典の日付を掘る場合もあります。
日付は西暦もしくは和暦と月だけのもの、もしくは日まで入れたものまで様々です。
今ではそんな基本の枠に囚われずに作られた、デザイン性豊かな定礎を見かけるようになりました。
経営理念や格言が掘られた定礎板、平仮名で「ていそ」と彫られた定礎板、タイルで花や星をデザインしたファンシーで可愛らしい定礎板など、個性豊かな定礎板がたくさんあります。
最近ではステンレス製のシックな定礎が人気ですし、「定礎」の文字も記入していないものもあるので見つけにくくなっていますが、街にどんな定礎板があるのか探しに行くのも1つの魅力です。
そんな定礎を好きなマニアも多くいます。
マニアにとってはビルやマンション、各施設が多く揃う街は、宝庫のように思えるはずです。
定礎を設置することでしっかりとした土台づくりができている証明とともに、デザイン性を優先して建物にマッチする定礎を設置できる時代となっています。
では、定礎はどういったルーツで日本の建築文化に根付いていったのでしょうか?
定礎のルーツとは?文化はなぜ誕生したのか?
明朝体で大きく定礎を掘られていることから、定礎板をはめ込むのは日本特有の文化と思われがちですが、実はそうではありません。
ルーツは約5000年前、石造建築が活性化されたメソポタミア文明にまで遡ります。
当時の定礎は建築に取り掛かる際の基準点として扱われていました。
この役割は後の古代ギリシャや古代ローマの時代に変化が起き、着工する際に建物の基準となる石に印をつけて、建築していく建物が滞りなく完成することを祈って設置されるものとなったのです。
この時代では鉛や石など、腐りにくい材質で造った礎石を埋め込み頑丈な建物にしていました。
また、古代ギリシャや古代ローマ時代からは建物が倒壊することなく、長く続くようにという願いも込められており、今でもそうした想いを込めて定礎は組み込まれています。
日本では明治時代から定礎を扱うようになりました。
江戸時代から明治時代の日本は開国が行われており、ヨーロッパで主流だった文化が急激に日本に浸透していったのです。
近代化を試み西洋建築物が多く建てられ、その時に活躍した西洋建築技師から設計だけではなく監理も担ってもらい、定礎の文化が広がりました。
ちなみに日本で一番古い定礎は金沢城跡地で発見されています。
その定礎には「宝暦十三癸未年 鍬始 六月廿五日」と記載されており、1763年の江戸時代中頃のものであることが判明しています。
日本に広く浸透していく前に設置された定礎と考えられ、非常に貴重なものです。
この日付は着工した日なのか、定礎を埋め込む定礎式が行われた日なのかは判断できません。
また、現在では工事終了時に定礎板を設置するのが通例となり始めています。
本来基礎工事を行う上で、柱の基礎部分に定礎箱を埋めるのが日本でも定石となっていました。
さらに建物だと東南の隅に据え付けられることが多かったものの、現在は建物の玄関近くに設置される場合がほとんどです。
このように時代の移り変わりによって定礎の設置条件も変化してきましたが、その時代であっても工事の安全を祈願する儀式「定礎式」は欠かせません。
続いては定礎式について説明していきましょう。
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定礎式は何のために行うもの?
定礎式は無事に工事が終了することと建物が長持ちすることを祈願する式典でありますが、現在ではその形も変化してきました。
現在の定礎式について
現代の建築方法では、建築の土台に木を扱うことはないですし、礎石で柱を守ることもありません。
金属製の腐食しにくい素材を使用するため、定礎自体を行う必要性は薄れてしまったのです。
しかし安全に建築を終える願いや、建物が長持ちする願いは今でも続いています。
現在の定礎式は建築工事をスタートさせた日ではなく、建物がある程度完成に近づいた時点、もしくは完成した時点で行われることが多いです。
完成間近であることや完成したことを記念して行う儀式にもなってきています。
そのため、建築のその他の儀式と違いなくなり始めていて、儀式の内容も曖昧になり始めています。
建築業界の様々な儀式をご紹介!定礎式と違う点は?
建築業界には建築前、建築途中、建物完成後などたくさんの場面でセレモニーを行っています。
続いては建築業界の様々な儀式をご紹介しながら、定礎式との違いに触れていきます。
・地鎮祭
まず、建築の際に欠かせない地鎮祭は、工事着手前に行う儀式です。
新しくその土地に建物を建築することや、その土地に住むことを神様に報告、さらには土地の神々の霊を鎮めて、敷地を清め祓い、工事安全と加護を祈願します。
・上棟式
上棟式については建築途中で行われているセレモニーです。
木造住宅の場合には骨組みの段階における最後の木材を組む時点でお祝いしますが、鉄骨造の場合には鉄骨をクレーンで吊り上げる形で儀式を行います。
さらに鉄筋コンクリート造においては構造体の最後のコンクリートを打つ時に行われるといったように、建物に使用する建築材料によって異なるのです。
どの上棟式でも棟上げを無事に終えられたことに感謝しつつ、最後まで工事の安全を祈る儀式になっています。
家屋においては施主が建築現場の方に料理やお酒を振る舞ったり、手土産やご祝儀を渡したりするなど、労いの気持ちを表しているのが特徴です。
・竣工式
竣工式は「竣工奉告祭」とも言われる儀式で、無事に工事が完成したことを神々に奉告する儀式内容となっています。
定礎式は竣工式の前に行われるケースが多いです。
・竣工披露
最後の竣工披露は工事に協力してくれた方に対して感謝やお礼をする祝賀会になっています。
セレモニーの内容は祝辞や挨拶、感謝状の贈呈などで、竣工式では神事が中心ですが、こちらは関係者への労いやPRとしての意味を持つ傾向にあります。
定礎式の内容
続いては定礎式の内容について詳しく触れていきましょう。
定礎式の主な内容である定礎板を建物にはめ込む前にはお祓いをしたり、工事の無事と建物が長持ちすることを願ったりします。
その際には神社から神主さんを招いて、以下のような儀式が行われます。
手水(てみず)の儀:神主さんが現場に入る前に身を清めるための儀式
修祓(しゅうばつ)の儀:参列者の体と心をお祓いし、清浄にさせるための儀式
降神(こうじん)の儀:神をお祓いした祭壇に迎えるための儀式
献饌(けんせん)の儀:迎えた神にお供えを行うための儀式
祝詞奏上(のりとそうじょう):神々にお祝いの言葉を奏上するための儀式
切麻散米(きりぬささんまい):祭壇に供えられた神酒、米、塩などを土地の四方に撒いてお祓いすること
これらの儀式を経て定礎の儀に移っていきます。
定礎の儀では初めに定礎の辞奉読(じほうどく)として、神に建物が長持ちすることを願います。
続いて定礎石にかぶせてある幕を上げ、定礎銘板鎮定の儀として定礎板を据える場所へと埋め込んでいきます。
埋め込む際、定礎が据えられる場所にはモルタルを注ぐ斎鏝(いみごて)の儀を行い、礎石据付(そせきすえつけ)の儀として定礎石を設置します。
定礎石が水平で垂直に収まっているかどうかを確認したら、定礎石の設置が完了したことを伝える斎槌(いみつち)の儀を行い終了です。
さらに、建物を建てる土地の安定や施主・工事関係者の守護を願う「玉串奉天(たまぐしほうてん)」や、祭壇から神がお帰りになる際に行う「昇神の儀」、神前にお供えしていた神酒を参列者に配る「神酒拝戴(しんしゅはいたい)」などを行います。
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定礎箱に入っているもの
現代ではあまり定礎自体見られなくなりましたが、定礎を建築物にはめ込む際に同時に定礎箱が入れられていることがあります。
定礎は建物の壁に定礎石としてはめ込まれており、定礎箱はその奥に埋め込まれています。
定礎箱の素材は、腐食に強い銅やステンレスが用いられることが多いですが、中には木製の素材が用いられていることもあります。
定礎箱は明治時代の末期ごろから始められた慣習とされています。
それまでは定礎式で定礎プレートをはめ込むだけでしたが、定礎箱を入れることで建築当時を偲ぶことが可能となるのです。
そんな定礎箱に入っているものは、定礎箱によって様々です。
・氏神様のお札
・建物の図面
・施主と建築に携わった人の名前が入った銘板
・建築中の写真
・定礎式が行われた当日の新聞
・当時流通していた週刊誌
・当時の硬貨や紙幣
・流行っていたおもちゃなどのグッズ
定礎箱に入れるものは特に指定されておらず、タイムカプセルのように用いられているので当時の様子が分かるものを入れていることがほとんどです。
ビルや工場などの大きな建築物に入っていることの多い定礎と定礎箱ですが、最近では個人の一戸建て住宅にも埋め込まれることが増えています。
定礎箱の中身も、自宅の建築図面から建築時の新聞・週刊誌、記念となる家族写真を入れていることが多いです。
建物を解体する時にやっと定礎箱が開封されるので、非常にロマンあふれる箱だと言えます。
大きな建物であればそれだけ長い期間、定礎箱が開封されることはないので建築当時の物が入っているだけでも歴史を感じられる貴重なものとなるでしょう。
現在でも歴史ある建物の解体などの際に、定礎と定礎箱が出てきたことはニュースでも取り上げられるほどです。
それだけ当時の様子が知れる定礎箱は、歴史的な価値が高いものであることが分かります。
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定礎箱の開封事例
定礎箱はこれまでに様々な建物の解体時に取り出されており、定礎箱の中からは当時入れた思い出の品々や歴史的価値のある貴重な品々が出てきています。
中には、これまでは知り得なかった貴重な資料なども発見されていることから、定礎箱には日本の建築史上においても非常に価値のあるものだと言えます。
東京などの首都圏では大きなビルが建ち並ぶ一方で、これまであったビルが新しいビルへと解体・新築されていくことも多くあります。
日々、どこかのビルなどが解体され新しく建築されていることから、今もどこかで定礎箱が発見され開封されているかもしれません。
ここからは、全国各地でこれまでに開封された定礎箱の事例を4つご紹介していきましょう。
宮崎市にある県庁5号館にて開封された定礎箱
宮崎市に位置する県庁5号館で曳家工事が進められていた際に、木製の定礎箱が発見されました。
そもそもこの県庁5号館自体、旧宮崎農工銀行社屋として建設された背景を持つ価値の高い近代建築でもあります。
県が取得した後に県文書センターとして活用されていましたが、県庁5号館の場所に新たに県防災拠点庁舎が設立されるのに伴い、歴史的な建築物を後世にも残すために曳家工事が行われていました。
県庁5号館は今から100年近く前の1926年に建築されていた歴史的価値のある建物でもあることから、貴重な資料が出てきたとして大きく取り上げられたのです。
定礎箱は定礎と刻まれた外壁の奥に埋め込まれており、縦23cm×横29cm×高さ9cmもの桐でできていました。
定礎箱に入っていたのは、定礎を記念して作られた銀のプレートと定礎式が行われたとされる1926年4月8日の日州新聞、当時流通していた硬貨7枚です。
いずれも建築当時の様子が伝えられるものとなっており、貴重な史料としての価値も高いことが分かります。
91年ぶりに開封された定礎箱の中身は、現在でも県文書センターにて無料で観覧できるようになっています。
誰でも観覧できるようにされているので、興味があればぜひ観覧しに行って建築当時の宮崎市に思いを馳せてみてください。
日本IBMの旧本社から出てきた定礎箱
日本IBMの旧本社は六本木にあったのですが、再開発の影響で取り壊す際に定礎板の取り外しが行われ、定礎板の奥からは定礎箱が出てきました。
日本IBMの旧本社ビルは、1971年に完成してから箱崎へ本社が移転されるまで用いられています。
完成当時、旧本社ビルは柱がない構造であったり、エネルギー効率を良くした仕組みであったりと、多くのイノベーションが盛り込まれた建物として注目を集めていました。
見つかった定礎箱は銅製でしっかりと密閉されていたそうです。
開封した際に一番上にあったのは当時の日刊紙・英字新聞・建築業界紙の3つの新聞でした。
特に、建築業界紙では旧本社ビルについての紹介記事が大きくピックアップされていたことから、建築物として非常に大きな注目を集めていたことが分かります。
他には、ビルの設計図や本社の入社案内、ビルのブローシャー、完成時の写真、日英2種類の関係者の名前が記された真鍮製のプレートが入っていました。
ビルの設計図には、建築家としても有名な故林昌二氏のサインが書かれていたり、現日本建築士事務所協会連合会会長でビルの設計を担当していた三栖邦博氏の判があったりと、非常に歴史的にも貴重なものが出てきています。
定礎箱の存在はビルに勤めていた日本IBM社員でもあまり知られていなかったことから、社内からも驚きの声が上がっていたそうです。
社内でも展示される予定とされていたので、現本社ビルに行けばみられるかもしれません。
また、日本IBMの旧本社ビルが完成した当時のビデオが残っており、YouTubeでも見られるようになっていました。
このようなビデオ映像が見られるのは稀なので、ぜひ映像だけでも見て当時の様子を感じてみてください。
東京大学の新図書館計画時に発見された定礎箱
東京大学では新図書館計画として、総合図書館前広場にて地下に300万冊もの図書を貯蔵するための自動化書庫と様々な分野での交流のためのライブラリープラザを持つ新館の建築工事が行われていました。
工事敷地内には明治25年に創建され関東大震災にて焼失した旧図書館のレンガ基礎がありました。
埋蔵文化財調査にて見つかっていたレンガ基礎を解体している最中に、金属製の定礎箱が発見されたのです。
このレンガ基礎は今回の堀削にて発見されたもので、それだけでも歴史的価値の高い出来事でしたが、その中から定礎箱が発見できたことも非常に価値のあるものと言えます。
幸いにもレンガ基礎の解体作業は機械ではなく、人の手によって行われていたために発見されました。
解体工具にて突いてしまった穴が開いてしまってはいるものの、機械によって解体作業が行われていたら、出てきたとしてもボロボロになっていたか発見も難しい状態となっていたのではないかとされています。
10cm×17cmほどの金属製の箱には、明治23年8月25日に発行された官報にくるまれた金属製のプレートが入っていました。
金属製のプレートの表面には帝国大学図書室が明治23年に完成したことが記されており、さらに裏面には工事監理者である山口半六と設計者である久留正道の名前と出身が刻まれていました。
これまで帝国大学図書館の設計者は特定されていなかったことから、非常に貴重な資料であることが分かります。
さらに、定礎箱は明治時代から始まったとされる慣習ではあるものの、これまで明治時代に建築されたものから発見された事例が見られないことから、日本の建築史上で重要な発見であるとされています。
現在、この時発見された貴重な定礎箱などはどこで保管されているのか、観覧可能となっているのかは分かりませんでしたが、非常に貴重な発見であったことから大事に保存されている可能性が高いです。
大阪電気通信大学寝屋川キャンパスリニューアルにて発見された定礎箱
大阪電気通信大学の寝屋川キャンパスの旧A号館は、1967年に完成して以来53年もの間学生たちを見守り続けてきました。
2018年の秋から本格的に寝屋川キャンパスの大規模なリニューアル工事が開始されました。
旧A号館が解体される前に、OECUイノベーションスクエアと講義棟であるJ号館の間に設置されていたF号館の取り壊しが行われています。
その後、衛星通信研究施設であるT号館の屋上に置かれていたパラボラアンテナの撤去作業が進められました。
このT号館は30年以上もの間蓄積した降雨などの気象現象を記録したデータがあるなど、世界電気通信連合無線通信部門においても世界的に価値の高い研究施設として知られています。
新たに建設された新棟の屋上にBSアンテナやその他の小型アンテナが移設されています。
寝屋川キャンパスのシンボル的存在であるM号館前のヤシ科樹木「フェニックス」がお清め・お祓い後に伐採された後、旧A号館の解体作業が始まりました。
解体作業に先立って、壁に設置されていたキャンパスのシンボルマークである「電子軌道」が取り外されています。
解体作業が進む中で、定礎板を取り外し裏に合った定礎箱が取り出されました。
箱は金属製で、32cm×15cm×7センチの入れ物で二重にされしっかりと守られていました。
1967年に完成した旧A号館の中で53年もの間眠っていた定礎箱からは、銘板・旧A号館の建築に関わった人々の名刺・キャンパスの建設図面・当時流通していた硬貨・完工日の日本経済新聞、朝日新聞、毎日新聞が出てきました。
いずれも貴重な資料とされています。
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自宅に定礎を設置するのはOK?
定礎と定礎箱は、一般的にそこまで認識されているわけではないので自宅に定礎を設置する人もあまり多くはありません。
自宅へ設置する場合、基本的には南東の角に完工日と施主名を記した定礎プレートを埋め込むことが多くなっています。
通常は、ビルの建設や工場の建設時に記念や建前として行われることが多くなっていることもあり、一般的な一戸建て住宅ではあまり用いられていないのです。
しかし、定礎や定礎箱はそもそも工事が無事に完了するための安全祈願や無事に完了したことへの感謝、施主や企業の成長・発展を祈願することを目的として埋め込まれているほか、完工当時を偲ぶためのタイムカプセルとしての役割も担っています。
そのため、自宅に定礎と定礎箱を設置すること自体は何の問題もありません。
むしろ、タイムカプセルとして定礎と定礎箱を設置することで将来の家族の楽しみが増えるとも言えるでしょう。
中には、定礎や定礎箱を家相や風水のために設置する方もいるようです。
もちろん自宅に定礎と定礎箱を設置する事例は非常に少なくはありますが、建物の安泰を願いながら建築当時を振り返ることができる、貴重な存在ともなり得るでしょう。
基本的に現代では一般的な一戸建て住宅であれば30~40年ほどで建て替えだとされています。
建築後30~40年であれば、施主はまだ生きている可能性も高く、その次の世代まで誕生していることも考えられます。
次の世代が住みやすいよう建て替える際に定礎箱を一緒に開封することを考えると、ロマンを感じられるでしょう。
定礎を設置する目的は人それぞれ異なるので、設置したいのであれば設置してみてはいかがでしょうか?
ただし、定礎を設置した一戸建て住宅を売りに出す際には注意が必要です。
個人の証でもある定礎があることで、価値が下がってしまうことも十分に考えられます。
また、個人情報をそのまま残した状態になってしまうため、場合によっては悪用されてしまう危険性も考えられます。
これまであまり事例も出てきていないので、実際に価値が下がってしまうかは不動産によって異なるとしか言えませんが、そのリスクが高まる可能性は認識しておくようにしましょう。
まとめ
今回は、定礎についての意味から誕生した経緯・由来、定礎式が行われている理由、定礎式の内容、定礎箱に入っているもの、定礎箱の開封事例、定礎を自宅に設置することなどを解説してきました。
定礎はそもそも建築工事を開始する合図のような意味もありましたが、現代においてはそれまでの建築方法とは異なる工法が用いられていることもあり、定礎自体が行われることが少なくなっています。
それでも昔からのしきたりとして、現在でも定礎式が行われているのです。
定礎の奥には定礎箱という、完工当時のものを入れたタイムカプセルのようなものも入っていることがあり、当時の貴重な史料などが発見されることもあります。
近年は安全性の観点から建て直しを図っているため、もしかするとニュースなどで定礎箱の中身などを見られる機会が増えてくるかもしれません。
また、定礎は戸建てに設置できないという決まりは特にないため、自宅にタイムカプセル的な意味も込めて設置するのも良いでしょう。
ただし、上記でもご紹介したように気を付けなくてはいけないポイントもあるため、設置を検討する際には建築会社などと相談し、設置するようにしましょう。