企業経営において、「何が成功に必要か」を問い続けることは極めて重要です。目まぐるしく変化する環境下で短期的な利益にとらわれず、いかに持続可能な成長を実現するかが経営者の腕の見せ所となります。
私自身を振り返り、自戒の念を込めて人的資本(人財)、企業文化、リーダーシップ、そして社会との関係性という観点から、企業に真に必要なものについて考えます。
企業に必要なものとは何か?
企業は往々にして四半期ごとの業績など短期的な利益に目を奪われがちですが、真に必要なのは一過性の数字よりも持続的な成長の視点です。利益は企業が存続するための「酸素」のようなもので不可欠ではあるものの、呼吸そのものが人生の目的でないのと同じく、利益そのものは企業の存在目的ではありません。企業経営の本質とは、社会や顧客に価値を提供し続けることであり、その結果として利益がついてくるという長期的な視座が欠かせないのです。
短期的な視野に陥った経営が招く失敗の例として、かつて写真フィルム市場で世界を席巻した企業が思い浮かびます。デジタル化の波が押し寄せた際、目先のフィルム販売の利益を守ることに固執するあまり革新のタイミングを逃し、市場の変化についていけなくなりました。その結果、デジタル技術への対応が遅れたその企業(例えば米Kodak)は競合に遅れを取り、没落してしまったのです。一方で、自社の短期的な利益を犠牲にしてでも将来を見据えた投資を行った企業は新たな活路を開きました。実際、日本の富士フイルムはフィルム需要の減少を見越して培ったコア技術を医療や化粧品など新分野に応用し、事業転換に成功しています。この対照的な例は、長期的な成長戦略の有無が企業の命運を分けることを示しています。
要するに、企業に本当に必要なのは長期的視点と存在意義への自覚です。短期的な数字だけを追うのではなく、自社は何のために存在し、誰にどんな価値を提供するのかという原点に立ち返ることが、持続的成長への第一歩となります。そのうえで、持続可能な成長を支える具体的な要素としてまず挙げられるのが、次で述べる人的資本、すなわち「人」の力です。
人的資本の重要性
企業は突き詰めれば「人」の集合体であり、優れた戦略やビジョンもそれを実行するのは人です。古くから「企業は人なり」と言われるように、人こそが企業の価値を生み出す源泉となります。日本語では従業員を「人財」と表現しますが、「材」が材料を意味するのに対し、「人財」と書けば人は財産であるという意味になります。まさに社員一人ひとりが企業にとってかけがえのない財産であり、長期的な競争力の源泉だという考え方です。
このため、採用においては単にスキルや経歴だけでなく、理念・ビジョンへの共感を重視することが欠かせません。企業の価値観に心から賛同し情熱を持って働ける人財こそが、困難な局面でも自発的に工夫し乗り越えてくれるからです。スキルや知識は入社後に磨くことも可能ですが、企業の理念への共感や仕事に対する情熱は後から植え付けることが難しいものです。例えば顧客第一主義を掲げる企業であれば、その思想に共鳴し「顧客のために最善を尽くしたい」というマインドを持った人を採用することで、組織全体が一丸となって顧客価値の向上に取り組むことができます。
さらに、従業員の継続的な育成は企業の未来を左右します。実際、「社員の成長なくして企業の成長なし」という言葉がある通り、従業員の成長こそが組織全体の発展を支える原動力です。社員のスキルアップや能力開発に積極的に投資し、成長の機会を提供する企業は、長期的に見て大きなリターンを得るでしょう。例えば、現場の作業員から経営幹部に至るまで常に改善提案を奨励しているトヨタ自動車では、一人ひとりの従業員が自ら考え工夫する風土が根付いており、それが生産性向上やイノベーションにつながっています。また、スターバックスが従業員に大学学費補助を提供したり、グーグルが社員の20%の時間を自主プロジェクトに充てさせたりしているのは、人財への投資が将来の新たな価値創造につながると信じているからに他なりません。社員を単なるコストではなく将来への投資と捉える企業は、優秀な人財の定着率も高く、長期にわたり組織能力を高め続けることができます。
このように人を大切にし、その潜在能力を引き出すことが企業の競争力の源泉となります。人財が生き生きと働き成長する企業には活力と創造性が生まれ、困難な課題に直面しても乗り越える底力が備わります。ただし、人財が最大限に力を発揮するためには、その土台となる企業文化の存在も不可欠です。次に、持続可能な企業文化の形成について見てみましょう。
企業文化の形成
企業文化とは、その企業に共有された価値観や信念、物の考え方のことです。持続可能な企業文化とは、一時的なスローガンや表面的な規則ではなく、従業員の行動の根幹に息づく理念と言い換えることができます。それは「誰も見ていなくても従業員がどう行動するか」を決定づけるものであり、まさに企業の人格とも言うべき存在です。経営学者ドラッカーは「文化は戦略に勝る(Culture eats strategy for breakfast)」と述べたと伝えられますが、どんなに綿密な戦略を立てても文化がそれに従わなければ実行はままならない、という趣旨でしょう。共有された価値観と強い一体感を持つ組織では、たとえ外部環境が変化しようとも柔軟に対応し、ぶれない軸を保ちながら乗り越えることができるのです。
では、持続可能な企業文化を築くにはどうすればよいでしょうか。その鍵は、価値観の共有と組織の一体感の醸成にあります。経営層が明確なミッション・バリューを示し、それを自ら体現することが出発点です。リーダー自らが模範を示すことで、言葉だけでなく行動を通じて企業理念が浸透していきます。また、社内のコミュニケーションを活発にし、部署や立場を越えて意見を交換できる風通しの良い環境を整えることも重要です。例えば、ある企業では毎朝全社員で企業理念を唱和したり、週次の全社ミーティングで価値観に即した表彰を行ったりしています。些細なように見えるこれらの取り組みが社員の意識を徐々に変え、価値観の共有につながります。
さらに、社員が主体性と誇りを持てる環境を作ることも文化づくりの一環です。たとえば高級ホテルチェーンのリッツ・カールトンでは、現場のスタッフが顧客満足のためであれば即座に裁量を持って行動できるよう、一定額までの判断を現場に委ねています。これは「お客様に最高のサービスを提供する」という価値観が全スタッフに共有され、各人が自分で考えて動く文化が根付いているからこそ可能になる運用です。また、米IT企業の社内では部門の壁を越えたプロジェクトチームが常態化し、失敗しても責めない文化の中で革新的なアイデアが次々と生まれている例もあります。従業員同士がお互いを信頼し合い、共通の目的に向かって協力できる組織風土があれば、どんな困難にも一致団結して立ち向かえるでしょう。
企業文化は一朝一夕には築けませんが、一度確立すれば競合他社が容易に真似できない強力な財産となります。強固な文化に支えられた組織は、環境変化に対してもしなやかで、長期にわたって安定したパフォーマンスを発揮します。このような文化と人財の力を正しい方向へ導くために必要なのが、次に述べるリーダーシップと戦略です。
リーダーシップと戦略
企業が持続的な成長を遂げるためには、経営トップのリーダーシップと適切な戦略が不可欠です。経営者の役割は、将来の方向性を示す明確なビジョンを描き組織を導くこと、そして環境変化に合わせて戦略を策定し果断に意思決定することにあります。優れた経営者にはいくつかの共通した資質が見られますが、中でも重要なのは長期的視野に立った意思決定ができることです。短期的な業績の上下に一喜一憂せず、将来の成長に資すると信じる道をぶれずに指し示す覚悟が求められます。株主や市場からの圧力で短期的な成果を追求する誘惑に駆られる場面は少なくありませんが、そこであえて長期的な投資や変革を選択できるかどうかがリーダーの力量と言えるでしょう。例えば、米Amazonの創業者ジェフ・ベゾス氏は創業当初から四半期ごとの利益ではなく市場シェア拡大と顧客体験の向上を優先し、長年利益を出せない期間が続いても戦略を貫きました。その結果、Amazonは圧倒的な企業価値を創造し、長期視点の経営の成功例として知られるようになりました。
また、経営者には高い倫理観と責任感も欠かせません。企業不祥事が後を絶たない中、トップ自らが誠実で透明性の高い姿勢を示すことが、社員の信頼を得て組織を正しい方向に導く土台となります。言行一致のリーダーシップは企業文化の信頼性を高め、社員が安心してついていくことにつながります。そして経営者は同時に人を活かす力も持ち合わせるべきです。優れたリーダーは自らが先頭に立って牽引するだけでなく、社員の才能を見極めて適材適所に配し、その力を最大限発揮できる環境を整えます。部下に権限移譲し、自律性を尊重することで組織全体の能力を底上げするのです。
戦略面では、自社の強みと市場動向を見極める洞察力が求められます。外部環境の変化を先読みし、競合との差別化ポイントを明確にした上で、自社が取るべき道筋を示すのが経営戦略です。リーダーシップと戦略は車の両輪のようなもので、一方が欠けても企業は前進できません。ビジョンに基づく戦略を描き、それを現場に浸透させ実行に移す推進力こそが経営者の真価と言えるでしょう。優れたリーダーの下では、社員もまた自社の方向性を正しく理解し、自発的に戦略の実現に貢献するようになります。
このように経営者には多面的な資質が求められますが、最終的には経営トップ自身が長期的な価値創造の体現者となることが肝要です。どれほど優れた人財や文化があっても、舵取りを誤れば組織は迷走しかねません。逆に、確かなリーダーシップによってビジョンと戦略が示されていれば、組織は一丸となって困難を乗り越え、持続的な成長軌道に乗ることができるのです。しかし忘れてならないのは、企業は決して社会から切り離された存在ではないという点です。最後に、企業と社会との関係性について考えてみましょう。
社会との関係性
企業は顧客、従業員、取引先、株主、そして社会全体との関係の上に成り立っています。持続可能な成長を語る上で、このステークホルダーとの共生を無視することはできません。顧客に対して優れた製品やサービスで価値を提供し続けること、従業員にとって働きがいがあり成長できる場を提供すること、取引先とは互恵関係を築くこと、そして社会や環境に貢献すること――これらは単なる慈善ではなく、長期的に企業が存続繁栄するための戦略的要件になりつつあります。
日本には近江商人の「三方良し」(売り手良し・買い手良し・世間良し)という経営哲学があります。これは「商売は売り手(企業)と買い手(顧客)が共に満足するだけでなく、社会にも益をもたらして初めて良しとする」という考え方です。現代の企業経営にも通じるこの哲学は、まさしく顧客・社員・社会のすべてに価値をもたらす経営の重要性を示唆しています。企業が永続的な支持を得るには、商品やサービスを通じて顧客の課題を解決し信頼を勝ち取るだけでなく、社員にも公正な待遇と誇りを与え、さらに地域社会や地球環境にも配慮した活動を行うことが求められるのです。
近年、ESG(環境・社会・ガバナンス)を重視した経営やSDGs(持続可能な開発目標)への取り組みが世界的な潮流となっています。投資家からも、財務指標だけでなく企業の社会的価値に注目する動きが広がり、社会との良好な関係を築ける企業ほど長期的に高い評価を得る傾向が強まっています。実際、環境問題に真摯に取り組みカーボンニュートラルを宣言する企業や、事業を通じて貧困や差別の解消に貢献する企業は、そのブランド価値を高めるとともに優秀な人財や顧客からも選ばれるようになっています。言い換えれば、企業の存在意義(パーパス)を社会に示し、それを実行する企業こそが次の時代に生き残り、発展していくのです。
経営の神様と称された京セラ創業者・稲盛和夫氏は「企業の目的は、全従業員の物心両面の幸福を追求し、人類・社会の進歩発展に貢献することだ」と述べています。社員と社会という二つの側面への価値提供こそが企業の使命であり、ひいてはそれが企業の繁栄につながるということを端的に表した言葉でしょう。まさに、顧客・従業員・社会に対して真摯に価値を提供し続ける企業こそが、長期的な信頼を獲得し揺るぎない地位を築くのです。
結局のところ、企業にとって真に必要なのは短期的な利益にとらわれない長期視点に立った包括的な経営です。人財を大切に育成し、共有された価値観にもとづく強い企業文化を築き、確かなリーダーシップの下で戦略を遂行し、社会に価値を提供して貢献する――これらがすべて揃ってこそ、企業は真に持続可能な成長を遂げ、その存在意義を全うできると言えるでしょう。日々の経営判断において目先の利益だけでなくこの大局観を忘れないことこそが、経営者や投資家を含む私たち企業人に共通する永遠の課題なのです。