人材を「人財」と捉えた企業価値向上の投資戦略 ~不動産業界の事例に学ぶ~

はじめに

近年、人材を「人財」すなわち企業の重要資本と捉え、従業員への投資を企業価値向上の戦略とする動きが強まっています。日本でも2023年4月以降、上場企業約4000社に対して人的資本(従業員)に関する情報開示が義務化され、人材戦略が企業経営の重要課題として位置づけられています。従業員という人的資本はESG経営や無形資産への関心高まりの中で注目されており、優秀な人材の確保難も相まって、企業は人財への積極投資とその成果の「見える化」を迫られているのです。本レポートでは、人財への投資が企業価値向上につながる理論的枠組みを概観し、不動産業界の国内外の具体的事例やデータを交えながら、その長期的成長や競争優位性、顧客満足度・ブランディングへの効果、さらに考慮すべきリスクとマネジメント策について考察します。

人財投資と企業価値向上の理論的枠組み

人的資本経営とは「人材を『資本』と考え、企業価値を持続的に向上させるために個人が持つスキルや能力などに投資することで付加価値を生み出していこうとする」経営手法です。伝統的な会計では、設備投資や不動産取得は資産計上される一方、従業員の採用・研修費用は単なる費用として処理されます。しかし実態としては、人材への投資は将来への価値創造投資であり、長期的には企業の収益力やブランド価値を高める原動力となります。優秀な人材の存在が優れた業績につながることは多くの経営者が認識しており、人的資本を短期的コストではなく長期的資産と捉え直すべきだという議論が高まっています。

この理論的背景には経済学の人的資本論があり、教育や技能訓練への投資が労働者の生産性を高め、ひいては企業全体の生産性向上と価値創出につながるとされます。また、経営学におけるリソースベーストビューでは、企業固有の人材が持つ知識・ノウハウこそ競合他社が模倣困難な資源であり、持続的競争優位の源泉と位置づけられます。

不動産業界における人財投資の重要性

不動産業界は土地や建物といった有形資産が収益源となる側面が強い一方で、実際には人間が提供するサービスやノウハウが競争力を左右する業界でもあります。物件の開発・仲介・管理といった各業務で顧客に価値を届けるのは最終的に「人」です。不動産取引の専門知識、信頼関係を築く営業力、質の高い物件管理サービスなど、人材のスキルとホスピタリティが顧客満足やブランド評価を大きく左右します。

特に日本の不動産業界では少子高齢化による人手不足が深刻化しつつあり、優秀な人材の確保・育成は事業継続の生命線となっています。不動産テックの進展やグローバル展開が進む中、デジタルと不動産の双方に通じた人材や、多様なニーズに応えられる人材の育成が求められています。例えば大手デベロッパーの三井不動産は、2030年までに社員の25%をDX(デジタル変革)人材に育成する目標を掲げ、累計10億円規模の研修投資を計画しています。このように業界リーダー企業自ら、人材育成を長期戦略の柱に据えているのです。また、三井不動産グループ傘下で賃貸住宅の管理事業を行う企業は「当社の資産は間違いなく人材(=社員)である」と明言し、従業員が能力を最大限発揮できるよう育成・活躍支援に取り組んでいると発表しています。不動産というノンアセットビジネス(人的サービスが主体の事業)では、人材こそが価値創出の源泉であるとの認識が広がっているのです。

人財投資の国内事例:中堅・大手不動産企業の取り組み

国内企業の事例

日本国内でも中堅~大手の不動産企業が人財投資によって企業価値を高めた例が見られます。例えば、急成長を遂げているオープンハウスグループでは、全社員約6,000名の人材データを一元管理し、戦略的人事による人材活用を推進しています。独創的なビジネスモデルと平均28%という高い売上成長率で創業26年にして業界4位・売上高1兆円超に達した同社は、更なる成長加速のため人材配置や制度改定に柔軟に対応できる基盤を整え、グループ全体で長期的な人的資本の最大化を目指すとしています。このように人材データを活用し将来のリーダー育成や適材適所の配置を行うことで、事業拡大に必要な人財力を計画的に強化しています。

また、東急不動産ホールディングスなど大手各社は、有価証券報告書において人的資本戦略や施策、KPIを中長期ビジョンと結びつけて開示し、人財育成による価値創造ストーリーを明確化しています。例えば長期ビジョンに連動した人財戦略を策定し、その下で研修制度や人事制度を整備、従業員エンゲージメント向上を図るなど、一連の取り組みを企業価値向上の文脈で説明しています。三井不動産や住友不動産といった大手デベロッパー各社も、従業員研修や資格取得支援、グローバル人材育成プログラムなどに積極投資し、人財力の底上げによって新規事業創出や海外展開を成功させたケースが報告されています。これら国内事例は、人財への継続的な投資が業績拡大のみならず企業ブランドの向上や株主からの評価改善にもつながっていることを示唆します。

海外企業の事例

海外の不動産業界でも、人への投資を競争力の源泉と位置づける例が増えています。世界的大手の不動産サービス企業ジョーンズラングラサール(JLL)は、リーダーシップ開発プログラム「Real Leadership」を導入し、大規模な従業員育成改革を行いました。その結果、参加マネジャーの部下の定着率が87%に達し(非参加群より大幅に高い水準)、参加マネジャーの11%が昇進(非参加群は6%)するなど、人材育成が社内の昇進機会拡大や離職防止に寄与したと報告されています。さらに同社では、研修を通じて育ったマネジャーが多様で包括的なチーム作りを推進し、革新的なアイデア創出や顧客サービス向上につながったとの定性的効果も得られたとしています。実際に、研修参加チームではダイバーシティ(多様性)指標が10%向上し、社員からも「最高のマネジャープログラム」と高評価を得るなど、企業文化面でも良い循環が生まれました。

米国の不動産投資信託(REIT)企業では、従業員満足度が高く「働きがいのある職場」ランキングに名を連ねる企業が増えています。例えばCamden Property Trust(賃貸住宅REIT)は、全米の従業員調査で常にトップクラスの評価を得ており、従業員への利益共有や研修制度の充実を図った結果、安定した入居者サービスと高い入居率を実現しています。その結果として株価の長期的上昇や資産価値の増大につながっており、従業員満足→顧客満足→財務業績向上の好循環を生み出した企業として知られます。また、欧米の大手仲介会社では社内大学を設けてプロフェッショナル人材を体系的に育成し、高度なコンサルティング力で他社との差別化を図る例もあります。例えばCBREやColdwell Bankerなどは研修プログラムが評価され「不動産業界の働きたい会社ランキング」で上位となり、それがさらに優秀人材の採用を呼び込むという好循環が起きています。

これら海外事例からは、人財への投資が従業員の能力開発とエンゲージメント向上を通じて企業業績や競争力強化に直結していることが読み取れます。とりわけグローバル企業では、異文化対応力や最新テクノロジー活用スキルを持つ人材の育成が新規市場開拓やサービス高度化に欠かせず、人への投資なくして成長戦略は語れない状況です。

人財投資がもたらす長期的成長と競争優位性

人財への投資は短期的な費用増として財務諸表に表れるものの、中長期的には企業の成長エンジンとして機能します。教育訓練を受けた従業員は生産性やイノベーション創出力が向上し、新たな事業機会を捉える原動力となります。Wharton校の調査では、従業員へのコミットメントが高い企業は3年間でROI(投下資本利益率)が4ポイント高くなるとの分析もあり、人材への長期投資が持続的成長に直結することが示唆されています。また、先述のATD研究が示すように包括的な研修は人材一人当たり収益を飛躍的に高め、長期的な売上・利益成長を支えます。日本企業でも、研修投資額を増やした企業ほど売上高成長率が高まる傾向があるとの報告があり、人的資本強化が企業の成長率に寄与している可能性があります。

さらに、人財への投資は競争優位性の確立に不可欠です。高度な技能や専門知識を持つ社員は、他社には真似できないサービス品質や技術開発を実現します。特に不動産業では、優秀な営業担当者が築く信頼関係や、熟練の技術者が実現する高品質な建築・管理は、簡単には代替できません。企業が人財育成を通じて蓄積した組織知(組織に蓄えられたノウハウや経験知)は競合他社との差別化ポイントとなり、市場での競争を有利に進める武器となります。また、従業員が長期在籍しエンゲージメント高く働く企業では、顧客との長期的な信頼関係が築かれやすく、これも競争優位につながります。野村不動産の調査では、企業の不動産戦略に人的資本強化の視点を取り入れることが持続的な価値向上に欠かせないと指摘されています。働きやすい職場環境や充実した福利厚生によって優秀な人材を惹きつけ定着させることは、他社には真似できない強みとなり、「人が人を呼ぶ」好循環で人材面の優位性を一層強固にします。

顧客満足度・ブランド力への波及効果

人財への投資は顧客満足度の向上を通じて企業ブランド価値にも好影響を及ぼします。サービス業の分野では「サービス・プロフィット・チェーン(SPC)」と呼ばれる理論モデルがあり、従業員満足度→サービス品質→顧客満足度→業績という因果のつながりが実証されています。日本のホテル業界を対象とした研究でも、従業員満足度が高いほどサービスの質が上がり、それが顧客満足度向上と収益増加に結びつくことが確認されています。同様に不動産業においても、従業員への教育や働きがい向上施策は顧客対応力を高め、契約成立率の向上や物件稼働率の改善といった成果に直結します。実際、従業員満足度と顧客満足度はいずれも財務業績と正の相関関係にあるとの調査もあり、社員も顧客も満足度を高める経営が業績向上の鍵とされています。

顧客は企業のブランドを評価する際、その企業の従業員の対応品質や専門性を重視します。例えば高額な不動産取引では、担当者への信頼感がブランド信頼に直結します。よく教育されモチベーションの高い社員は丁寧かつ的確なサービス提供によって顧客の信頼を勝ち取り、企業の評判を高めます。逆に人材定着率が低く経験の浅いスタッフばかりでは、サービス品質のばらつきや対応力不足からブランドイメージを損ねかねません。人財投資による社員のプロフェッショナリズム醸成は、顧客から選ばれるブランドとなるための土台と言えます。

さらに、従業員を大切にする企業文化自体がブランド価値を高めるケースもあります。昨今はESGやSDGsの観点から「従業員を大事にし社会に貢献する企業」に投資したい・取引したいと考える投資家や顧客が増えています。従業員のウェルビーイング(幸福)や多様性推進に熱心な企業は社会的評価も高く、「社員を宝とする企業」というブランドイメージが定着します。その結果、優良な人材がさらに集まりやすくなり(雇用ブランドの向上)、顧客からの信頼・共感も得て売上にも寄与するという好循環が生まれます。不動産業界でも、「社員を大切にする会社だから顧客も大切にしてくれるだろう」という印象が購買意欲や紹介件数に影響を与えるとの指摘があります。実際、オフィス環境の整備(働きやすさ向上)は優秀な人材確保や生産性向上に資するだけでなく、環境配慮型オフィスは取引先やステークホルダーにも企業の姿勢を示すメッセージとなり、ブランド向上に貢献するとされています。このように人財重視経営は顧客満足とブランド力双方を底上げし、結果的に企業価値の向上につながるのです。

人財投資に伴うリスクとそのマネジメント

人財への投資にはメリットが大きい一方で、いくつかのリスクや課題も存在します。第一に挙げられるのは、投資回収前に人材が流出するリスクです。せっかく研修や育成に費用をかけても、従業員が競合他社へ転職してしまえば企業にとって「人財」ではなくなってしまいます。ある調査によれば、大企業の65%が若手社員の離職に際し「採用・教育コストの損失」が大きな課題になると感じています。特に不動産業は他業種に比べ離職率が高い傾向も指摘され、人材流出によるノウハウ損失や顧客流出のリスクは軽視できません。

第二に、人的投資の成果が測りにくいリスクがあります。研修や職場環境改善の効果は売上や利益に直結しにくく、定量評価が難しいため、短期的視点ではコスト削減圧力にさらされがちです。実際、研修効果をビジネス成果に結び付けて定量的に測定できている企業は全体のわずか8%に留まるとの報告もあります。このため、人的投資が十分に成果を上げていたとしても、それを社内外に説明できず途中で予算縮小されるリスクが存在します。

第三に、人的資本投資の内容・方向性のリスクです。企業戦略と合致しないスキル育成にリソースを割いても効果は限定的ですし、誤った人事配置や育成の偏りは組織のバランスを崩す恐れがあります。例えば特定分野の専門人材ばかり育成しすぎて他の重要部門が人材不足になる、といった事態は避けねばなりません。加えて、人材投資には時間がかかるため、外部環境変化で求められるスキルセットが変わった際に対応が遅れるリスクもあります。

こうしたリスクに対しては、戦略的人材マネジメントと仕組みづくりでマネジメントすることが可能です。まず、研修でスキルアップした社員が定着するようリテンション施策を講じることが重要です。具体的には、公正な昇進・昇給の機会を与える、成果に報いる報酬制度、柔軟な働き方や福利厚生の充実、社内公募制度でキャリアパスを広げる等、社員のモチベーションを維持し「この会社で成長し続けたい」と思わせる環境を整えます。前述のJLLのように研修参加者の昇進率を高める仕組みを取り入れることも有効でしょう。また、社員のエンゲージメント(愛社精神)を高めることで競合への流出を防ぐことができます。社内コミュニケーションの活性化やビジョンの共有、上司からの適切なフィードバックなどソフト面の施策も組み合わせ、投資した人材が最大限活躍し続けられる職場を作ることが肝要です。

次に、人的投資の成果についてはKPI設定とモニタリングで「見える化」する工夫が必要です。研修後の業績指標(売上高や契約件数の変化)、顧客満足度アンケート結果、従業員エンゲージメント調査結果、離職率の推移など、関連する定量データを継続的に追跡・分析し、投資対効果を評価します。例えば研修を受けた営業担当者グループの契約率が向上したか、資格取得支援によって新サービス創出につながったか、などを測定・公表することで、人的投資の意義を社内外に示せます。近年は人的資本の情報開示項目として「人材育成施策とその成果指標」が求められており、企業はこれを機に自社なりの指標体系を整備するとよいでしょう。

さらに、人的投資を経営戦略と連動させることもリスク緩和に有効です。企業の中長期ビジョンに基づき、必要となる人材像やスキルを定義し、それに沿った採用・育成計画を策定します。三井不動産のようにDX戦略に合わせてデジタル人材育成制度を導入する例は好手であり、常に事業戦略と人材戦略をセットで考えることで無駄のない投資が可能となります。また、人的資本に関するガバナンスとリスク管理も整備すべきです。例えば後継者プールを作り要職者が抜けた場合に備える、重要な知見はマニュアル化・IT化して個人から組織の資産へと転換する、特定社員に依存しすぎないチーム体制を構築する等の施策によって、人材リスクに対する組織耐性を高めます。

おわりに~人財こそ最大の「資産」

本コラムでは、人材を「人財」と捉えた投資戦略が企業価値向上にもたらす効果を、不動産業界の事例やデータとともに考察しました。理論的には、人への投資がイノベーションと生産性を生み出し、長期的な成長と競争優位をもたらすことが示され、実証的にも従業員満足度の向上が顧客満足や財務業績に波及するデータが確認できます。不動産業界という、人のサービスと有形資産が交錯する領域においても、優れた人財なくして継続的な企業価値向上は望めません。国内外の事例が示す通り、人財への積極的な投資と戦略的人事は、単なる費用ではなく未来への投資として大きなリターンを生み出しています。もっとも、その効果を最大化するにはリスクを認識し、適切にマネジメントしていくことが重要です。人財こそ最大の経営資源であるという視点に立ち、長期的な視野で人への投資を怠らない企業が、これからの不動産業界のみならずあらゆる業界で持続的な企業価値向上を果たしていくことでしょう。そしてそのような企業は、顧客や投資家からも信頼される存在として、一層の発展を遂げることが期待されます。企業経営において、人を育み活かすこと以上に高いリターンを生む投資はないのです。

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