企業の持続的な成長と価値創造を考える上で、近年「人的資本経営」という概念が大きな注目を集めています。人的資本経営とは、従業員を単なるコストではなく「資本」として捉え、その能力や価値を最大限に引き出すことで中長期的な企業価値の向上につなげる経営手法を指します。言い換えれば、人財への支出を将来への投資と見做し、従業員の成長や活躍を企業の成長エンジンと位置付ける考え方です。このアプローチでは、人件費は「管理すべきコスト」ではなく「未来の価値創造に向けた投資」であると捉え直されます。
では、なぜ今この人的資本経営が重要なのでしょうか。その背景には、企業を取り巻く経営環境の変化があります。デジタル化やDXの進展、脱炭素社会への移行、価値観の多様化などにより、人財の質と戦略的活用が企業競争力の決定要因となりつつあります。実際、非財務情報の中核として「人的資本」の重要性が高まっており、経営においても人財力が課題としてクローズアップされています。さらに、企業価値の構成要素に占める無形資産(人財、知的財産、ブランドなど)の割合が年々高まっていることも見逃せません。ある分析によれば、2020年時点でS&P500企業の企業価値の約90%が無形資産に由来するとされ、1970年代の17%程度から飛躍的に上昇しています。これは、人財を含む無形の資産をいかに育て活用するかが、企業の長期的価値を左右することを意味しています。
こうした状況を受け、経営の在り方を「人的資本」を重視する方向へ転換する動きも活発化しています。経済産業省が2020年に公表した「人財版伊藤レポート」では、持続的な企業価値向上のために経営戦略と連動した人財戦略への変革を提言し、人的資本経営へのシフトの重要性を打ち出しました。また、日本政府は企業統治の指針にも人的資本の要素を組み込み始めており、2021年に改訂されたコーポレートガバナンス・コードでは人的資本に関する記載が盛り込まれています。このように投資家をはじめとするステークホルダーからも「人を大切にし、活かす経営」を求める声が高まっているのです。
人的資本経営の重要性は、企業内部のパフォーマンスと外部からの評価の双方に現れます。従業員の能力開発やエンゲージメント(愛着心や熱意)の向上は、新たなイノベーション創出や業務生産性の改善を通じて企業の競争力を強化します。例えば、研修やキャリア支援によって社員が成長すれば、それだけ高度な付加価値を生み出せるようになり、結果的に業績向上につながります。また、社員が企業理念に共感し意欲高く働くようになれば、顧客満足度の向上やブランド力の強化といった波及効果も期待できます。反対に、人財を軽視した経営を続ければどうなるでしょうか。優秀な人財から愛想を尽かされ他社へ流出してしまったり、社内にノウハウや活力が蓄積されず競争力が低下したりするリスクがあります。そしてその影響は社外にも及び、人的資本を疎かにする企業は投資家から適正に評価されず中長期的な企業価値を損ねる恐れがあると指摘されています。
要するに、人的資本経営は単なる人事施策の話ではなく、企業の持続可能な成長戦略そのものだと言えます。企業価値の源泉が有形資産から無形資産へとシフトしてきた現代において、人財という「生きた資本」への投資と経営への組み入れは不可避の課題です。人的資本経営を実践することで、変化の激しい事業環境下でも柔軟かつ力強い組織を築き、長期的な競争優位を確立することができます。その意味で、人財を大切にし活かす経営姿勢こそがこれからの企業価値向上の鍵を握っているのです。
おわりに
人的資本経営の概念と重要性について見てきました。従業員を企業の「資産」として捉える発想は、一見理想論のようにも思えますが、実はこれからの企業経営の現実的な必須要件となりつつあります。人財への目線を転換し、戦略的に人を育て活かすことが、企業の未来を切り拓く原動力です。経営者に求められるのは、この人的資本経営の重要性を正しく理解し、自社の経営戦略に組み込んで実践していくリーダーシップと言えるでしょう。人を想い、未来を創る――まさにその姿勢が、これからの企業価値向上と持続的成長の土台となるのです。